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前回の『劉翔六吃 ~様々な方法で非難する人々~ 』に対する、加藤 鉱からのコメントです。
ちょっと大袈裟になるかもしれないけれど、今回の異様ともいえるハードル王「劉翔バッシング」は、江沢民前政権が煽り続けたナショナリズムの副産物ではないかと考えています。
一九八九年の天安門事件後、上海を任されてもさしたる実績を挙げられなかった江沢民は、鄧小平の引きで総書記の座に就きました。江沢民の使命は、政府を脅かすまでになった民主化運動を弾圧し、それに代わるべくナショナリズムを国民に浸透させることでした。そして、ナショナリズム高揚の具体的な標的として選ばれたのが日本であったのは疑う余地はないでしょう。
日本には不幸なことでしたが、江沢民は露骨にナショナリズム、とりわけアンチ日本をメインテーマとした愛国主義を鼓吹することによって、デモクラシーに目覚めかけた中国国民の内面を見事にすり変えることに成功しました。
問題は、ナショナリズムなるものを政府が主導すると、その後の収拾がひどく難しくなるということです。先般機会を得て、ある著名知識人の対談に同席した際、まったく同じ内容の話をされており、これは世界の常識ともいえるようです。日露戦争後の日本もそうでしたよね。中国の人々のナショナリズムが燃え盛って起きたのが、二〇〇五年四月の反日デモであり、このデモをコントロールできなかった中国政府首脳は戦慄をおぼえたに違いありません。
江沢民の後継となった胡錦濤主席は清朝末期、西太后が義和団を支持した過ちを思い出したのか、明らかにナショナリズム路線を変えようとしているようですが、もっと強烈に舵を切ったほうがよいのかもしれない。
隣国とはいえ他国の日本、長野での聖火リレーは五星紅旗で埋め尽くされ、異様な光景に映りました。ナショナリズムが最高に高揚する五輪の場で、英雄視(超格差社会への反発と共に)されてきた劉翔の無様な姿を見れば、それは今回のような現象は起きて当然でしょうし、そうさせてきたのは政府自身なのですから。
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